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【前置き】
おはようございます、またしても朝になってしまいました。本当に研究室生活を再開することが出来るのか不安でならないです。
しかしですね、無駄に夜更かししながら、一つ短い話を書いてみました。なので「続きはこちら」というところにくっつけておきます。
最近はお盆で研究室にほとんど人がいないのを良いことに、だらけきった生活をしています。まぁ今日(昨日?)はさすがに実験してましたが…。来週からはまた真面目に本腰入れて実験しないといけないのかと思うと…本当に不安です。できるかな??
まぁ、またよろしくお願いします。
おはようございます、またしても朝になってしまいました。本当に研究室生活を再開することが出来るのか不安でならないです。
しかしですね、無駄に夜更かししながら、一つ短い話を書いてみました。なので「続きはこちら」というところにくっつけておきます。
最近はお盆で研究室にほとんど人がいないのを良いことに、だらけきった生活をしています。まぁ今日(昨日?)はさすがに実験してましたが…。来週からはまた真面目に本腰入れて実験しないといけないのかと思うと…本当に不安です。できるかな??
まぁ、またよろしくお願いします。
S氏をめぐる小景
郵便受け
S氏は毎日2回、私の中を覗き込む。朝は新聞の朝刊を取り出す。夜は一日にたまった郵便物と夕刊を取り出す。その郵便物の中にはS氏が待ちに待っていた、返事の手紙というものが入っている。そこには送り主のI氏の言葉が刻まれている。
それを待つS氏の心はいつも期待だけとは限らない。それは私の扉を開ける勢いと閉める勢いの差から知ることが出来る。そこには苛立ちや諦め、不安や憤りも存在し、時には手紙が届いて欲しくないと思っている事さえ有る。
けれど手紙は届けられる。S氏が留守にしている日中に、バイクに乗せられて届けられる。私にはそれを早めることも隠すことも出来ない。そして手紙を読んだS氏の感情を知ることも出来ない。けれど私は数日後の朝、彼が出かける時に見ることになる。手紙をポストへ出しに行く彼の、晴れた顔も、曇った顔も。
ギター
S氏は僕の弦に書きかけの手紙を飾る。たった今受け取ったばかりの手紙も飾る。3本の弦の上と3本の弦の下で、手紙を挟んで留める事が出来るのだ。書きかけの手紙はI氏に送るものだ。受け取った手紙はI氏がくれたものだ。それは封筒に入っていたり絵葉書だったり、時によってさまざまだ。
僕には手紙の内容を理解することは出来ないが、それでもその温度を量ることは出来る。ならば彼の心を代弁する事が出来るだろうか。それはまた別の問題だ。
手紙の温度が少し暖かい時と少し冷たい時、S氏は僕をスタンドから下し、小さな音で鳴らす。彼が弾くのは昔流行った曲であったり、最近覚えたあまり有名でないミュージシャンのけれどとても素敵な曲であったり、彼自身の即興であったりする。
S氏は僕を鳴らす。僕は彼の心を代弁したい。けれどそれには僕の歩み寄り以上に、彼自身の感情が必要なのだ。もっと自分自身を表現する方法を学ぶべきなのだ。演奏技術でも言葉でもなく、彼自身を伝える方法を。
コーヒーの木
ここは日当たりが良く、暑くも寒くもなく、とても過ごしやすい場所だ。わたしの鉢はこの春からS氏の家の出窓に乗っている。去年は夏の暑さに負けそうになったが、今年は一枚も葉を落とすことなく秋まで生き延びることが出来そうだ。一日に一度、S氏が水をくれる。わたしの生活にはこれで十分だ。これだけでどこまでも、おそらく空に届くまで葉を伸ばしていくことが出来るのではないかと思ってしまう。
時々S氏はわたしを覗き込み、そしてI氏の話を聞かせてくれる。I氏にはまだ会ったことが無いが、表情も想像できるほど生き生きとしたI氏の姿が語られる。それはうれしい話ばかりだ。そしていつもよりも多めに水をくれる。こういう日はわたしも気分が良くなる。明日にでも空にまで届く大木になれそうな気がする。
またS氏は時々楽器を弾いて聞かせてくれる。それはわたしの祖先が生まれ育った土地に伝わるメロディーとはずいぶんと違う気がするが、それでも音色は脳裏に刻まれた大地の記憶を呼び起こす。少し悲しいそのメロディーは、わたしの根をきりきりと締め付ける。けれど決まってその後で、窓を開けて風に心をさらわせてくれるのだ。
製作上の注意:うーん、全部語り口が同じなのが残念かな。でも語り口を砕けたものに変えるとまたイメージが変わってしまう。要は下手なんだな。
S氏とI氏は単にゴロが良かったからです。何か他にうまい理由とかつけられるような名前が思いつけばそれにした。これもまた力不足だな。
また小説かけたら楽しいのにな。そう思いながら、ぼちぼち書いていくことにします。
120816
郵便受け
S氏は毎日2回、私の中を覗き込む。朝は新聞の朝刊を取り出す。夜は一日にたまった郵便物と夕刊を取り出す。その郵便物の中にはS氏が待ちに待っていた、返事の手紙というものが入っている。そこには送り主のI氏の言葉が刻まれている。
それを待つS氏の心はいつも期待だけとは限らない。それは私の扉を開ける勢いと閉める勢いの差から知ることが出来る。そこには苛立ちや諦め、不安や憤りも存在し、時には手紙が届いて欲しくないと思っている事さえ有る。
けれど手紙は届けられる。S氏が留守にしている日中に、バイクに乗せられて届けられる。私にはそれを早めることも隠すことも出来ない。そして手紙を読んだS氏の感情を知ることも出来ない。けれど私は数日後の朝、彼が出かける時に見ることになる。手紙をポストへ出しに行く彼の、晴れた顔も、曇った顔も。
ギター
S氏は僕の弦に書きかけの手紙を飾る。たった今受け取ったばかりの手紙も飾る。3本の弦の上と3本の弦の下で、手紙を挟んで留める事が出来るのだ。書きかけの手紙はI氏に送るものだ。受け取った手紙はI氏がくれたものだ。それは封筒に入っていたり絵葉書だったり、時によってさまざまだ。
僕には手紙の内容を理解することは出来ないが、それでもその温度を量ることは出来る。ならば彼の心を代弁する事が出来るだろうか。それはまた別の問題だ。
手紙の温度が少し暖かい時と少し冷たい時、S氏は僕をスタンドから下し、小さな音で鳴らす。彼が弾くのは昔流行った曲であったり、最近覚えたあまり有名でないミュージシャンのけれどとても素敵な曲であったり、彼自身の即興であったりする。
S氏は僕を鳴らす。僕は彼の心を代弁したい。けれどそれには僕の歩み寄り以上に、彼自身の感情が必要なのだ。もっと自分自身を表現する方法を学ぶべきなのだ。演奏技術でも言葉でもなく、彼自身を伝える方法を。
コーヒーの木
ここは日当たりが良く、暑くも寒くもなく、とても過ごしやすい場所だ。わたしの鉢はこの春からS氏の家の出窓に乗っている。去年は夏の暑さに負けそうになったが、今年は一枚も葉を落とすことなく秋まで生き延びることが出来そうだ。一日に一度、S氏が水をくれる。わたしの生活にはこれで十分だ。これだけでどこまでも、おそらく空に届くまで葉を伸ばしていくことが出来るのではないかと思ってしまう。
時々S氏はわたしを覗き込み、そしてI氏の話を聞かせてくれる。I氏にはまだ会ったことが無いが、表情も想像できるほど生き生きとしたI氏の姿が語られる。それはうれしい話ばかりだ。そしていつもよりも多めに水をくれる。こういう日はわたしも気分が良くなる。明日にでも空にまで届く大木になれそうな気がする。
またS氏は時々楽器を弾いて聞かせてくれる。それはわたしの祖先が生まれ育った土地に伝わるメロディーとはずいぶんと違う気がするが、それでも音色は脳裏に刻まれた大地の記憶を呼び起こす。少し悲しいそのメロディーは、わたしの根をきりきりと締め付ける。けれど決まってその後で、窓を開けて風に心をさらわせてくれるのだ。
製作上の注意:うーん、全部語り口が同じなのが残念かな。でも語り口を砕けたものに変えるとまたイメージが変わってしまう。要は下手なんだな。
S氏とI氏は単にゴロが良かったからです。何か他にうまい理由とかつけられるような名前が思いつけばそれにした。これもまた力不足だな。
また小説かけたら楽しいのにな。そう思いながら、ぼちぼち書いていくことにします。
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